番匠は日本の森林を守ります

日本の建築技術を伝承し、環境を大切にします

第6回 《燈心庵の建立》

  •  アメリカのアラバマ州知事、バーミングハム市長、アラバマ日米協会長から、バーミングハムにある日本庭園の中に茶室建立の熱い要請を受けましたのは、1993年のことです。きっかけは、以前にアトランタに建てた数寄屋造りの日本レストランが州関係者の目にとまったことでした。要請を引き受けるべきかどうか、随分と迷っていましたが、バーミングハム市に住んでいたある日本婦人の話が私に決断をさせてくれたのでした。そのご婦人は自分の子供たちに故郷日本の伝統文化を知らせたかったものの、現地には何もないことを悔やみながらガンで亡くなったという話でした。日本文化を伝える建物が、アメリカの地に一つでも増えるならきっと日米交流にも貢献できるに違いないと決断したのでした。しかし、それからが大変な道程でした。造るからには、決して妥協せず、本格的な茶室を造りたいと決意、材料にも徹底してこだわり、吉野の檜と京都北山杉の丸太を使用し、一度日本で組み立て、解体して船でアメリカへ運びました。そして左官職人、屋根職人など社寺専門の職人たちと一緒に渡米しました。それから1年というものは、奉公時代と同じように現地で自ら炊き出しをしては職人仲間たちと寝食を共にしました。そんな私たちの姿に共感した現地の人たちが、ボランティアとして積極的に協力してくれるようになりました。そんな日々の中に茶道の心までも日本人以上に理解してくれるようになったのです。心は国境を越えて通じ合うことを実感しました。苦労の末、異国の地に小さな日本が誕生したのです。「燈心庵」の命名は京都清水寺の松本大圓名誉管長が下さったものです。その後、正にこの茶室は“心を燈す庵”として日米交流の懸け橋となりました。後年、私はこのことによって「サムエル・ウルマン賞」という名誉ある賞を頂くことになりました。また、バーミングハム市より名誉市民の称号まで頂戴いたしました。茶室を通して日本文化の灯を燈したいという私の一念が通じたものと思います。住まいづくりにおいても、職人としての心を通していくことと、お施主様とのご縁の大切さを改めて学んだのでした。

    田子式規矩法大和流六代目 棟梁 田子和則